連続性からは小間使い時代なんですが,すでに講座制は崩れ,
研究室制へ移行をしていました.
従って,小間使いから昇格をして助教授です.
自前の卒研生と院生を持ち,経常費も配布されていました.
何とか外部資金の獲得も出来るようになりました.
給料は差程でも有りませんが,学会出張費,特に海外出張では大いに助かりました.
院生の学会発表旅費も支給できるようになりました.
文科省の海外研修員にも採用され,Oregon State Univ.へ赴任しました.
大学生になっていた息子は休学をして,嫁も同行しました.
今と違って,期間中は滞在費,常駐地の倍額の移動地滞在経費,
渡航費と移動費(ビジネス料金)の通常料金全額支給がありました.
今の若手とは比較にならないくらいの金額です m(_ _)m
帰国後,まもなく息子が修士へ,嫁までもう一度勉強をすると言いだし,
修士の試験を受けてしまいました.
二人の学生を抱え,もう家計はパンク状態,小遣いなど有るはずも無く,
嫁からは講演でも派遣講師でもやって自分の小遣いを捻出して,と言われてしまいました.
月1のコンパが恒例だった研究室,しかも,学生の参加費は伝統で \1000,
酒代は卒業生が送ってくれるビール券で賄えますが,ツマミ代は足りません.
そこは指導教員の負担,あちこちで講演やら講義を引き受けて捻出です.
学生も懐具合はうすうす感じていたようで,鍋や鉄板焼きの手作りで対応してくれてました.
この時代までは研究にいそしむことが出来,学生とも大いに飲み,
常時 Discussion を行え,時には夜を徹して語らい,充実した時代でした.
また,教室会議や専攻会議でも発言権を持てましたので,
院生には学会発表の義務化を提案し,一部からは反発をされてしまいました.
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