その昔,子供はとにかく遊ぶ者,実に家庭環境は好都合で,
姉が二人居たため,家の手伝いはほとんど姉がやってくれたので,
私はもっぱら遊ぶことに専念出来ました.
行きたくは無かった幼稚園ですが,親が行けというので逆らえず行かざるを得ませんでした.
幼稚園の記憶,行くたくないと駄々をこねたぐらいでした.
小学校へは遊びに行くものと思っていたため,
自分の名前は書けるようにと言われていました(多分)が,当然書けませんでした.
ところが実際には結構勉強,事前に手元に届いていた教科書など全く見もせず,
ただ単位教科書を持って喜んでいました.
小学校1年の時の国語の時間,まるで何も解らなかったけれど,
皆同じと思っていると,結構解る連中がいて,驚き,凄いなぁと感心していました.
そこで勉強すればすばらしいのでしょうが,やりたい者がやればいいやと,
勝手な判断で,毎日遊び暮らしました.
しかし,しかし,世の中そう甘くは無く,しょっちゅう漢字の書き取り試験をやられました.
当然まったくできず,常に惨憺たる結果でしたが,それでも,まぁいいやと暢気でした.
理科や算数は馬鹿みたいに簡単で授業だけで内容は理解出来るし,面白かった記憶です.
しかし,漢字の最悪な結果は担任も許せなかったようで,
あまりの酷さに親を呼び出されました.
当時の学校で教師に呼び出し注意をされる,これは絶対的な権威があり,
慌てたお袋に強制的な漢字の勉強をさせられました.
なんとかこの特訓のおかげで,人並みに漢字の書き取りも出来るようになりましたが,
小学校5年までに勉強をした記憶はこれ以外には有りませんでした.
国語の漢字の書き取り以外は内容理解はなんとかできましたので,
1年2学期以降はなんとか5をキープでき,お袋の怒りも収まりました.
算数・理科・社会・国語などは授業以外では全く勉強をしませんでしたが,
先生が良かったのか,授業の理解は出来ていたと思います.
小学校低学年次に残る記憶,休み時間には何時も戦争ごっこをやっていました.
バケツを被ってほうきを持って,隣のクラスに攻め込みます.
頭は保護されていますが,結構肩にあたり痛かったけれど,
攻撃と防御を相談しながら日々戦いに明け暮れました.
当然女子からの「密告」でよく廊下に立たされました.
また,授業後は教室の掃除がありますが,楽しくない,
机と椅子は後ろに寄せて掃き掃除をするのですが,机は2人用の長机でした.
教室の後ろに机と椅子を山に積み上げ,その上を長机を逆さにして乗って滑り降りる,
これは結構スリルがあって楽しかったけれど,当然机が壊れます.
その結果は担任から呵られるだけでは収まらず,親を校長室へ呼び出されてしまいました.
始めて首謀者として校長室へ連れて行かれ,平身低頭謝るお袋を見て,
こりゃとんでもないかなと思いましたが,そのとおり,
帰宅してから,3尺の竹の物差し,当時何処の家にもあった,で散々ひっぱたかれました.
お袋の怒りは収まらず,近所の灸やのお婆さんの所につれて行かれ,
背中に2個ほど据えられ,さすがにもう二度とこの遊びはやめました.
プロフィール 番外編へ
ホームへ